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「リンゴ」と「ジャガイモ」が
『天空の城ラピュタ』のテーマを象徴していたのか

 目次

「ポム」を食べたら「ポムじいさん」

 フランス語の勉強をはじめてからしばらくして『天空の城ラピュタ』について気づいたことがある。

 『ラピュタ』において、海賊のドーラ一家と軍の双方から追われるシータと彼女を助けるパズーが、古い坑道に降りるシーンがある。小さなランプの灯りを頼りに二人が坑道を歩き、その後二人は座ってパズーのカバンから出てきたパンや目玉焼き、リンゴを食べる。パズーは食べながらシータの故郷について、そしてシータはそこから黒メガネたちにさらわれてきたことなど今までのいきさつを聞く。デザートとして2つに割ったリンゴを二人がかじり、パズーがリンゴの芯を後ろに投げ捨てた直後、誰かが近づいてくる気配がする。それはパズーとは旧知の間柄である「ポムじいさん」だった。

出典『天空の城ラピュタ』
© 1986 Studio Ghibli

 実は、リンゴはフランス語で「pomme (ポム)」である。

 つまり、パズーとシータが「pomme」を食べた直後に、「Pommeじいさん」が出てきているわけだ。

 おそらくこれは偶然ではなく、宮崎監督が意図的にこうしているのだろうと思える。だが、これだけでは単なる言葉遊びのようなもので、演出として特別な意味があるようには思えない。

 上記のことに気づいてから数年経ち、あるときまた『ラピュタ』を見ていたら気づくことがあった。

 パズーとシータがドーラ一家と行動を共にすることになり、そのタイガーモス号に乗り込む。そこでシータは1日5回もあるという食事を用意する係を任される。その後シータが料理に励んでいると、ドーラの服に着替えたシータにドーラの息子たちや他の乗組員たちが引き寄せられてキッチンに集まってくる。そのとき、そのうちの一人がジャガイモの皮むきをしている。シータが鍋で煮ているシチューのような料理にもジャガイモらしき具材が入っているようにも見える。

出典『天空の城ラピュタ』
© 1986 Studio Ghibli

 実は、ジャガイモはフランス語で「pomme de terre (ポム・ドゥ・テール)」、逐語訳すると「大地のリンゴ」あるいは「土のリンゴ」である。

 するとだ、『ラピュタ』では「リンゴ」を地下で食べ、「大地のリンゴ」を上空で食べていることになる。それぞれのフランス語名の意味とはあべこべの位置関係になっているわけだ。

 これもまた偶然ではないだろう。それどころか、実は宮崎監督はこれにこそ作品のテーマを象徴させていたのではないかと思える。「ポム」を食べた直後に「ポムじいさん」が現れるだけでは単なる言葉遊びのように思えたものが、「ポム・ドゥ・テール」と合わせて考えることで、はじめてそう思えたのである。

「リンゴ」と「ジャガイモ」 あべこべの世界

 では「リンゴ」と「ジャガイモ」が、どう作品のテーマを象徴しているのか。それはすでに書いたように、“あべこべになっている”、ということにヒントがあるだろう。わたしが思うに、おそらく「本来は土の中にあるべきものが地上にあったり、本来は地上にあるべきものが上空にあったりする」、あるいは「本来は上空にあるべきものが地上や地下にある」ということだと思える。つまり、この作品の世界は、“下”にあるべきものが“上”にあったり、“上”にあるべきものが“下”にあったりするあべこべの世界なのだ、ということを「pomme」を地下で、「pomme de terre」を上空で食べるシーンに象徴させていたのではないだろうか。

 本来は土の中にあるべきものが地上にあるとは、人間が散々地中の資源を掘り尽くし、そして使い尽くし、枯渇している状況だとすれば説明がつく。『ラピュタ』の世界では、人間たちは地下に坑道を張り巡らせて鉱物を掘り続け、そしてすでにその資源は枯渇ぎみであり、鉱夫たちの仕事は不景気になっていることが示される。そして地上には金属製の機械類があふれている。その金属はもちろん、もともとは地下に眠っていた単なる鉱物だったわけだ。

出典『天空の城ラピュタ』
© 1986 Studio Ghibli

出典『天空の城ラピュタ』
© 1986 Studio Ghibli

 映画の冒頭では「ラピュタ人」たちの盛衰が絵で語られているが、そこでもやはり、彼らが空中に飛び出す前に、まずは地下を掘り進めている様子が示される。特にこの一連のシーンでは、人間が地下の資源を掘り続け、それを加工する様子はグロテスクな印象さえある。延々と地下の深いところへと掘り進めているカットなどは、人間の尽きない強欲さを描いているかのようだ。つまり「本来は地下にあるべきもの」とは、ここでは「鉱物」のことではないだろうか。

 では本来地上にあるべきものが上空にある、というメッセージがあるならそれはなんだろうか。

 それは結局ラピュタ人たちの運命であり、シータがラピュタの“玉座”で語る歌の内容が示すことだろう。つまり、人間は土から離れては生きられない、ということだ。ラピュタ人は地下から掘り出した鉱物を金属に変え、その高い科学技術力で自分たちが住む“土地”さえ宙に浮かばせることに成功し、そしてムスカによればかつて全地上を支配したという。だが結局それはうまくいかなかった。人間は土から離れては生きてはいけない、という当たり前のことが、ラピュタという壮大な“実験”を経てわかったのだ、とシータは言っているわけだ。

 つまり「本来は地上にあるべきもの」とは人間のことだろう。だがラピュタ人たちは地上に戻ったが、その城とも言えるラピュタは今も宙にある。そしてそれがあるためにムスカのような野心家が再びそれを利用しようとしてしまう。だとすればラピュタもまた宙にあり続けるのは不自然なわけだ。

 シータはムスカと同じくラピュタの王族を血をひくにもかかわらず、ムスカの野望には加担せず、どころか滅びの呪文を唱えてしまう。それによってラピュタを地上に戻すことにはならなかったが、永遠に人間の手が届かないものにしてしまう。

「リンゴ」の象徴性 科学と宗教

 ここで「リンゴ」の象徴性について考えてみる。リンゴは、ニュートンが万有引力の法則を洞察するきっかけになった果物として有名である。つまりリンゴは科学、特に物質的科学のメタファーである。思えば、『ラピュタ』の世界には重力の法則に逆らわなければ成立しないようなものが数多く出てくる。ゴリアテなどの“船”は、数個のプロペラはついているが、それが止まっているときでも宙に浮いている。どうやって浮いているのか全くわからないわけだ。中に浮力のあるガスが詰まっているのだろうか。一方ラピュタは巨大な飛行石のおかげで宙に浮いている。飛行石には重力の法則を無効にする効果があるのだろうか。

 リンゴは宗教的なモチーフでもある。旧約聖書の「創世記」では、アダムとイブが食べる禁断の果実はリンゴとイメージされることが多い。二人は禁断の果実を食べたせいで楽園を追放されるわけだ。ちなみにリンゴはラテン語では「malus (マルス)」である。これは不思議と、『ラピュタ』における滅びの呪文である「ヴァルス」と似ている。似ているのはまた偶然ではないかもしれない。パズーとシータという一組の男女が「ヴァルス」という“禁断の呪文”を唱えるとき、木の根に囲まれている巨大な飛行石はまるで果実のようにも見える。つまりリンゴに喩えられるだろう。アダムとイブが「マルスmalus」という禁断の果実を食べたことで楽園を追放されたように、パズーとシータが「ヴァルス」という禁断の呪文を唱えたことで、ラピュタという楽園が崩壊するわけだ。

 上記のことや、ムスカがラピュタに備わっていた恐ろしい兵器を海に放ってその力を見せつけたとき、「旧約聖書に書かれたソドムとゴモラを滅ぼした天の火」とはこのことだと言っていることからも、実はこの作品には、旧約聖書の世界観がそれなりに強く影響していることがわかる。

 リンゴ=「pomme」と、ジャガイモ=「pomme de terre」というそれぞれの果物・野菜のフランス語名に着目することで、上記のような考察が可能であった。

 以上で、この考察を一旦終える。

( 2021 4.15 )

◯記事内の静止画像は、ジブリ公式サイトで提供されているものと、一部引用のためにDVDからのキャプチャ画像を使用しています。
天空の城ラピュタ-スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

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